まだまだ、オタクは水瀬いのりに信用されていないのかもしれない。【Inori Minase LIVE TOUR 2022 glow 感想レポート】
意図せず、水瀬いのりは時代を逆行し始めた。
音楽サブスクやTikTokの登場で、音楽業界は一変した。1曲4〜5分の楽曲は大幅に減り、3分台は当たり前、ましてや2分台の曲もしばしば見かけるようになった。短い時間の中でインパクトを残せない曲は、このご時世では生き残ってはいけないらしい。
昨今、コンテンツの消費スピードの速さが叫ばれている。動画の倍速視聴は当たり前、漫画もデジタル化の影響により、最初の3ページで読まれるかどうかが決まってしまうそうだ。そして、あらゆる流行の移り変わりがあまりにも早い。
次から次へとコンテンツが超速で消費される忙しないこの時代に、水瀬いのりは、ゆっくり、マイペースで、しかし着実にコンテンツ・・・というよりもむしろ物語を創り上げている。
千秋楽となった兵庫公演の最後に、glowツアーを「走り切った」と言いかけて「歩き切った」と言い直した場面は、まさに彼女らしさが溢れていた。
声優アーティスト・水瀬いのりの物語は、冒頭数秒だけでは到底語ることができない。これまでとこれから、何年もの時を経て、生み出され続けるものなのだと思う。
キーワードは、「変化」、あるいは「変わり続ける」ということ。
4thアルバム「glow」の登場に、心がざわついた。臆面もなく言い放ってしまうのであれば、個人的にはあまり楽曲が刺さらなかったアルバムなのだ。それでもこのアルバムは間違いなく、水瀬いのりのアーティスト活動史上、最も重要な意味を持つ1枚となり、信じられないほどの「輝き」を放っている。
水瀬いのりが感じていた・感じている周りからの期待や重圧とうまく付き合えるようになり、自分の感情を表に出し、今、彼女が本当にやりたいことを集結させることができたアルバムglow。その変化の理由は、デビューから時が経ったことや、周りのスタッフと打ち解けたことが大きな要因だと彼女は言う。
変化といえば、歌い方が変わった。これもインタビュー等で明言されているが、それ以前に過去のライブ映像を見れば一目瞭然である。歌い方こそ、まさに目に見えて分かる「変化」ではないだろうか。
また、ライブツアー前に全裸でシャワーを浴びながら考えたという彼女の言葉はあまりにも深く、重かった。
(中略)
私が、私であることを好きでいてほしい。急にピンクの服ばっかりを着るようになったとしても、中身が私であったら好きであってほしい。今の髪型や服装が好きと言ってくれる人がいるけれど、自分の髪型や服装が変わったら、その時よりは私のことを好きじゃなくなっちゃうのかな、とか、そういう不安に駆られる瞬間がある。
みんなが好きになってくれた私のタイミングって色々あると思うけど、そこから変化していくことで、あの時と変わっちゃったなと思う人が、離れていっちゃうのかなと思ったら、私はみんなが好きになってくれたところでセーブして、ずっとそこを生き続けなきゃいけないの、という悩みがある。
それでも、「そうじゃないだろ、どんどん好きなことをやって、自分の人生を謳歌しよ」という気持ちでツアーの舞台に立つ。
私が私を楽しむので、その私を見て楽しんでくれるというのが一番嬉しくて、そういう魅力のある人になっていけたらいいなという夢ができた。
変わるということのリスクを肌で感じながらも、それでも今やりたいことを実現していこうとする決意の表明に衝撃を受けた。
確かに楽曲が刺さる刺さらないなんて、茶髪より黒髪の方が好きだなあと言っているようなもので、水瀬いのりのことが大好きであれば、あまりにも些細な話なのだ。推し活をしていたら誰でも分かるような単純な話に見えて、実はちゃんとそれを認識するのはけっこう難しいように思う。
そんなデリケートなところを演者本人が的確に言語化してくるのだから、この子は本当に恐ろしい。
そして、水瀬いのり自身が気づいているかどうかは定かではないが、この彼女のマインドは、そのアーティスト活動における壮大な可能性を示したことになる。
変わることを認めてほしいと漏らした彼女の次の曲・次のアルバム・次のライブは、もはや我々では全く想像ができなくなったのだ。むろん、本人も想像できないはずである。一年後、三年後、十年後、自分がどうなっているのか想像できる人なんて存在しない。
次はどんな歌を紡ぐのだろう。だから、水瀬いのりというコンテンツは、一瞬を切り取るだけでは全く足りない。彼女を好きな限り、過去を思い出し、未来に思いを馳せたくなる。この物語は、とんでもない長編になるかもしれない。
水瀬いのりに横浜アリーナは似合わない。
とはいえ彼女は、大人気声優である。横浜アリーナでチケットが争奪戦になるほどには、思った以上に人気なのだ。
3rdアルバムのインタビューではこんな気持ちを吐露していたが、glowツアーを通して、無理にその感覚を追い付かせようとはしなくなったように感じた。
ただ明言しておきたいのは、変化を続けることを認めた水瀬いのりは、その一方で「周りから求められている自分」を完全に捨てたわけじゃない。そんな自分と同居し始めるようになったと表現した方が正しい。
ライブツアーにおけるセトリも、いわゆる盛り上がる曲を意図的に組み込んでおり、その層の需要にはしっかりと応えようとしている。ライブツアー終了後のラジオでは「ジメッとしたセトリのライブもしてみたい」と語っている通り、完全に本人好みでセトリを組んだら、また違ったライブになっていただろう。
(ちなみに、「求められている自分」の一人である本格的な可愛い系ダンスソングの消失は個人的にはとてもいい試みだったと思う。「いのりん可愛い!ダンス可愛い!」という声はたくさんあるものの、どう見てもこれまでの彼女・そして今の彼女の性には合っていない要素だからだ。)
無理に大衆の理想論に付き合うことをやめた彼女にはやっぱり、小さなライブホールがよく似合う。大きな会場では、特にネガティブな彼女が姿を現す。横浜公演での「つまらなかったという感想は鍵垢でお願いします!」というお茶目でありながらも過剰な防衛発言が、相変わらずの愛おしさを加速させる。
まだまだオタクは信用されていないのかもしれない。いやむしろ、オタクにこれでもかというほど丁寧に合わせてくれていると表現するべきか。
もちろんそんな彼女を責める気など毛頭なく、そんなネガティブで気遣い上手な水瀬いのりが心の底から大好きなので、いつまで経っても大きな会場でエゴサへの牽制をしてほしいなと思ったりもする。信用してほしいのか、ほしくないのか。ああ、そうか。こんな面倒なオタクがいるからダメなのかもしれない。
兵庫公演の直前に、「水瀬いのり MELODY FLAG」にメールを送って読んでもらえたセリフがある。兵庫公演の終わり際に言ってほしいというリクエスト付きのセリフだ。
『あーあ。まーたいのりのこと、好きにさせちゃった』
このセリフを読んだ後に、彼女は辛辣に言い放つ。
「嫌な奴。こんな奴が横浜アリーナに立てるかよ。舐めてるよ。こんなんじゃないよ私は。」
そんな最高のプロレス回答をしてくれたが、当然そんなことは百も承知なのである。
ただ、人は変わっていく。もしかしたら未来の水瀬いのりは、メキメキと自信をつけて、横浜アリーナで上のようなセリフを言い放つ女性になっているかもしれない。可能性はものすごく低いと思うけれど。それでも、会場に来ているオタク全員を100%味方だと盲信し(今でももちろん、オタクのことをちゃんと愛してはくれているのだが)、ネガティブなエゴサの話が一切出てこない女性にはなっているのかもしれない。
どうだろう。そんな水瀬いのりに変化していたら。考えなくても答えはすぐに出た。たぶん今と同じように好きなままでいると思う。glowツアーで、水瀬いのりの紡ぐ、彼女が変わり続けていくという物語の大ファンにさせられてしまったからだ。
この物語の主人公がこれからどう変化して、どう成長していくのか。目を離す暇はなさそうだ。