さようなら。ラブライブ!

   

「新プロジェクト始動!」

という文字を観た瞬間、一気に緊張の糸が切れた。
ホッとしてる自分がいた。
もうラブライブ!に一切の悔いが残っていない自分が、そこにいた。

今のラブライブ!って一体なんなのだろうと思うと、ただのブランド、あるいは箱なんだなという結論が出た。
そしてそのブランドの美学は、「スクールアイドル(という設定)であること」、それのみである。
「みんなで叶える物語」という言葉はもう、ほとんど聞かなくなった。
今さらだが、Aqoursはまだしも、虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会はラブライブ!である必要はあるのだろうか?
あるいは、新プロジェクトで生まれる何かは、ラブライブ!でなくてはならないものなのだろうか?
FINAL LIVE後の意図的な"空白"は無かったことにされ、ラブライブ!シリーズがますます大きくなることを決定付けた特報に、心が揺り動かされることはなかった。
ラブライブ!にいれば、みんなで叶えなくても叶ってしまう土壌があるのは本当に素晴らしいことだと思うが、それが"物語"を弱くした。
そして、キャストにさらなる高度なパフォーマンスを求める要因の一つになり、キャストだけが必死に、必死に、とにかく必死に努力して、アニメーションとのシンクロ率を極めるだけになってしまった。

と、こんなことを書かせた原因はやはり、ラブライブ!フェスで全員揃って歌わなかったことに尽きるだろう。
なんだか、よく分からないフェスだった。
スクスタのオープニングムービーである虹ヶ咲の「TOKIMEKI Runners」にはμ’sやAqoursも出てくるが、ラブライブ!フェスではグループ同士の絡みがほぼ皆無だった。期待された「SUNNY DAY SONG」も無し。
スクスタ上ではキャラクターが交錯し、オールナイトニッポンGOLDではキャスト同士がトークする世界が出来上がっているにも関わらず(個人的には、その世界に慣れて受け入れることにも努力が必要だった)、フェスでは特に何もしないという選択をした真意は一体全体、なんだったのだろう。
「TOKIMEKI Runners」にしろ、「SUNNY DAY SONG」にしろ、あるいはフェス用のオリジナル楽曲でもいい。一つでも一緒に歌っていれば、フェスの意味は大きく変わっていたのに。
「スクールアイドルが繋いできた」というキャストの言葉に嘘は無いし、それによって開催されたフェスだということは紛れもない事実としてある。
しかし、パフォーマンスは完全に切り分けて届けられたという事実に、納得がいかない、というよりも、今のラブライブ!プロジェクトの作り手が何を考えているのか分からないという気持ち悪さが勝りすぎてしまった。
当然、商業的にはμ’sを呼び水にして今のラブライブ!シリーズを好きになってもらおうという意図があったはずだが、残念ながらその意図に嵌れない自分がいて、ちょっと申し訳なくもなった。
ただただ、「μ’sが本当に好きだったな、そして今も、これからもずっとμ’sが好きなんだな」と再認識しただけで、ラブライブ!フェスが終わっていた。

また、μ’sは歌うのだろうか。FINAL LIVEですでに区切りをつけている自分としては、是が非でもμ’sにライブをし続けてほしいという気持ちはない。けれどもしまたあるのだとしたら、願わくば、μ’sの単独ライブになりますように。




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