水瀬いのりは本当に"アイドル"になってしまったのか【Inori Minase LIVE TOUR 2024 heart bookmark 感想レポート】
「脱・コミュ障!お先です!」
LaLa arena TOKYO-BAY、一万人のオタクの前で堂々と宣言した声優アーティスト・水瀬いのりは、いたずらっ子のような笑みを浮かべていた。
ナチュラルにオタク=コミュ障と定義付けている我が推し。さすが平成の女である。
今の水瀬いのりはもはや、アイドルである。
コロナ禍を経て、ライブ会場では応援団扇(非公式)(公式の団扇は第三回町民集会の団扇しかないからな!)が散見され、SNS上でも彼女をアイドル視するファンがずいぶんと増えた。
昨今の推し活ブームの流れがそうさせたのかもしれないし、今の時代、人前に立ってアイドルでいられないことのほうがもはや難しい。
アイドルとは、「存在そのものの魅力で活躍する人物」を指すようだ。
語源的には「偶像」であり、現在は「憧れの存在」で、「熱狂的なファンを持つ人」がアイドルとされるらしい。
この定義をもってすると、一体どうやって水瀬いのりがアイドルではないと証明すればいいのか。非常に難題に思える。
その上で私は、水瀬いのりはアイドルではないと断言する。
なぜなら彼女はここ数年ずっと「等身大」を謳っているからである。
私たちの目の前に立っているその女性は、偶像(アイドル)ではなく等身大の"人"なのだ。
それを目の当たりにできた今回のライブツアーは超最高!マジてんあげ!心安らか也。
そんな話で締められたらよかったのだが、ついに、いや、やっとと言うべきだろうか。
個人的には楽しみで、しかし一方では恐れていたことがいよいよ可視化されるようになってしまった。
「水瀬いのり非アイドル論」(提唱者、私以外にいるのか?)が崩壊の兆しを見せ始めたのが今回のライブツアーだったのかもしれない。
冒頭の一言に戻ろう。
「Inori Minase LIVE TOUR 2024 heart bookmark」千葉公演の二日目、彼女は嬉しそうに「脱コミュ障」を宣言した。
確かに、ステージの上で終始不安そうな昔の彼女はもうどこにも見当たらない。
「インドに行くと人生観が変わる」という都市伝説があるが、水瀬いのりはどうやらパリに行って人生観が変わったようだ。
パリで「人はそこまで他人を見ていない」ことに気づいたようで、現地で友達を作り、人見知りを治してしまったと言うのだ。
ただ思うに訪仏はただのトリガーであって、そのような予兆はずっとあったように思える。
それは2020年のコロナ禍でライブツアー「We Are Now」が中止された頃からだったかもしれないし、2022年の「glow」ツアーからだったのかもしれない。さまざまな説がある(この説については話すとかなり長くなるので私に直接答弁を申し込んでください)。
アーティスト活動、そしておそらく声優活動を通して彼女は少しずつ変わってきたし、何より変わろうとしてきた。
その変わりようも彼女らしく、決して一人で高みを目指すのではなく、ゆっくり寄り道をしながら、自分が一番幸せになれるであろう道を探して歩んできたように感じられる。
本ツアーは、初めて水瀬いのり自身でセットリストを組んだツアーだと言う。
そして、バンドメンバーに新たにパーカッション・若森さちこ(にゃんち〜)とヴァイオリン・須磨和声(すまり)を迎え入れたのも水瀬いのり本人である。
また、曲に合わせて光るシンクロライトを新しく導入させたのも彼女だ。
1stライブから見ている者としては、納得感はありつつも、なかなかに衝撃的な光景だった。
コミュ障を脱した彼女は、これまでになく自我を出してライブツアーを作り上げようとしていた。
だが、憧れは止められない
アイドルとは、「偶像」であり、「憧れの存在」だ。
今の水瀬いのりには隠しきれないオーラがある。どれだけ彼女が平凡でいようとしても、本質が変わらないとしても、彼女は人としてとてつもなく強くなった。まるでベリーブロッサムのように。
目の前にいる小さな女性はたくさんの試行錯誤をしてきた人で、変わろうと努力した人でもあって、一つも偶像ではない。
本人のタフネスと、一般人では到底経験できないような周りの環境も作用し、ますます人として進化する彼女は、人々の憧れの対象となるにあまりにもふさわしすぎるのである。
オタクたちに突きつけた「お先に!」という弄りは当然、彼女なりのファンサービスの一環ではあるものの、「(人としての)次のステージに行ってるぜ!」という容赦のない宣告でもある。
今の彼女の等身大の姿は、オタクにはあまりにも眩しすぎるのだ。
そんな水瀬いのりに憧れ、アイドル視する人をどうすれば否定できるのだろうか、いや、できない(反語)。
ヴァイオリニストへのパワハラ疑惑
ライブツアー初日の兵庫公演で、いのりバンド新メンバーであるすまりに挨拶を促したシーン。
もともと、2024年2月から3月に開催された「いのりまち町民集会2024 -ACOUSTIC LIVE Wonder Caravan!-」から参加していた新メンバーであるが、その立ち姿や振る舞いは控えめで、独特な言葉を発するヴァイオリニストだった。
コミュニケーションを自分から取っていくタイプではないようで、その様子には水瀬いのり自身もかなり共感していた部分もあったように思う。
そんなすまりにマイクを向けた彼女は「(どんなことを喋るのか)期待してるよ!」とハードルをあげ、少し怯んだすまりを見て「すまりは期待に弱いんだよね」、「一言言って楽になろう!」と文字面だけ見るとどう考えてもパワハラと思えるようなプレッシャーをかけていた。
数年前の彼女が自身にこんなことを振られたら絶対に嫌な顔をしていたであろうフリを炸裂させたのである。
意地悪めに書いたが、私はこのシーンでとてつもなく興奮した。おそらくあの日会場にいた誰よりも興奮していた自信がある。
自分もそうやっていじられたいとかドM心がくすぐられたのではなく、彼女がそんな”弄り”込みの強めのコミュニケーションを取れるようになっていたことに嬉しさで震えが止まらなかったのだ。
そんなすまりに北海道公演で痛いしっぺ返しを喰らうまでの最高のオチ(Kitty Cat Adventureの振り付けをやるように強要される)が用意されていたのは、極上のコントを見ているようで何とも痛快だった。
パーカッションの存在と、いのりバンド
いのりバンドでは初となる女性メンバーであるにゃんち〜も、「いのりまち町民集会2024 -ACOUSTIC LIVE Wonder Caravan!-」からの新顔である。にゃんち〜の存在は언니(オンニ:姉の意味)のようだと言い、公演中に多く語られることはないが、언니の存在が水瀬いのりにとってどれほど重要で助かることか想像に難くない。男性しかいなかったいのりバンドの中に一人女性が入るだけで、とてつもない安心感、信頼感が生まれてくる。2023年の「SCRAP ART」ツアーでようやくバンドメンバーと心から打ち解けた彼女にとって、その距離をさらに縮めるのにこれほど適任な存在はいないのではないだろうか。
今回のツアーでは毎公演、すまりとにゃんち〜が喋るパートを用意されていた。どの公演でもセンターステージはなく、水瀬いのりはずっとステージの上でバンドメンバーと一緒だった。ナチュラルに気を遣い合って、それはもう気遣いではなくて。まるで家族だ。
音楽面でも新メンバーは恐ろしいほどに力を発揮した。アコースティックのライブを経て、ライブにおける演奏の表現幅がとてつもなく大きく広がったように思う。
ギター2名、ベース1名、ドラムス1名、キーボード1名、パーカス1名、ヴァイオリン1名、マニピュレーター1名の計8名体制。
あまりにも贅沢すぎて、生音厨の私は無事に何度も死亡した。しかも、ただ足すだけではない。そう、音楽は足し算だけではないのだ。曲によってはしっかりと引き算も行われる。
アコースティックライブで培われた水瀬いのりの音楽の良さを最大限に引き出した空間は、コミュ力をつけた彼女が勝ち得たそのものだ。
目標なき水瀬いのり
「自分の夢はもう叶っていて、他の夢や目標はない。」
とてつもなく勇気のいる言葉を、千秋楽に彼女は吐露した。
一般的には、「次はアリーナツアー!」とか、「ドームで!」とか、そういう言葉が出てきそうな場面で、この一言である。
コミュ力をつけたことで広がる世界を彼女は知った。人に恵まれたと言うが、それを掴んだのは彼女自身だ。
その彼女は今、心の底から幸せそうに見える。自分が幸せ。みんなも幸せ。オールハッピー!なメンタリティを感じざるを得ない。最高である。
今、この尊くて幸せな瞬間をブックマークしていく。その先にまた尊い瞬間がある。人生はその連続ということなのだろう。
時には弱音を吐くけど、未来永劫続く「今」を全力で噛み締めて幸せになろうとする彼女は、目標を作らず、語らない。
そんな彼女に惹かれ、そしてやっぱり、憧れていく。
オタクへの信頼はお世辞じゃない
「気を遣わず自分らしくいられる空間をチームいのりやファンのみんなで築けてる」
「みんなは私の誇り」
千秋楽に彼女から発せられたこのような言葉は、あまりにも極上の賛辞だった。
今まで彼女自身の自信のなさや不安から投げかけられていた、「なぜこれだけ私が支持されているのか分からない」というオタクへの疑問符は、とっくにどこかへ消えていた。
彼女を愛してやまないオタクたちのお先をゆく水瀬いのりは、けれども決してオタクに「着いてきて」とは言わない。
正真正銘の自分らしさを見つけた彼女は、誰しもにとっての「自分らしさ」を等しく大事にする。
オタクを煽ってみたはいいものの、だからと言ってオタクに脱・コミュ障を求めているわけではない。
ただ、彼女がコミュ障を脱したことによって見つけた尊い何か、人生が変わるような何かを、オタクとして同じ目線で見てみたいのも紛れもない事実だ。
そして個人的には、等身大を見せてくれる彼女をアイドルにしたくないという強い想いがある。
そうするにはやはり、脱・コミュ障しかない…
さて、と。
深く、息を吐く。
スマホを動かす指は、なめらかだ。
見てろよ、いのりちゃん。
すぐに追いついて、追い越してやるからよ。